障がいがある子がいても、幸せに生きられる、と示したい(前編)

3人のお子様(長女25才、長男21才、次男13才)を育てておられ、長男に障害がありますが、なんとか乗り切ってきたという女性の方です。
人生曲線を描いてもらうとある時期に大きくマイナス側に向かい、それから行きつ戻りつしながら徐々にプラスの方向に向かっています。
まずは大きくマイナスに触れたときのことから語っていただきました。(注:本文中「この子」とは、傾聴中となりにいた長男をさしています)

人生最悪の時期

この子が生まれてすぐ障がいがわかっちゃったんで、生まれてすぐにズドンですね
それで、どうだったんだろうな?うーん、結構、低迷が長いですよ、私の場合。まあ行ったり来たりしながら、で、次男が生まれたあたりで上がる。やっぱりこの子が生まれた時、それから数年間が一番つらい時でしたね。

やっぱり自分を責めるところから始まったんで。何でなんだろう?何か原因があったのかなあ?とか、私が妊娠中に何かいけないことをしたのかなあ?とか、そういう遺伝子を持っているのかしら?とか、この子どうやって育てたらいいんだろう?とか。この子の上にも子どもがいたんですけど、まだ上の子も小さかったですから。で、この子が入退院を繰り返してたんで、上の子にもさみしい思いをさせたりして。ちょっとその辺で、悩みましたね。上の子に可哀そうだったなって、今も思うんです、はい。その時期が一番つらかったです。具体的に言うと、この子が小学校にあがるくらいまでなんかなあ。5、6歳くらいまで。何かやってあげたいと思って、あれがいいと聞いたら西に行き、あれがいいと言ったら東に行き、毎日、奔走してて、私が疲れちゃったっていう。で、上の子もいたし、途中私の母がアルツハイマー性痴ほう症になって、介護も加わってきちゃったんで、もう地獄でした。この時期は、ほぼほぼ私の精神が死んでるときですね。私の人生で一番どん底、大変な時です、はい。当時はもう時間もない、体力もない、もう睡眠時間もない、もう、ないない尽くしでした。

長男が普通小学校に行けたのがよかった。運がよかった、としかいいようがない。

次男が生まれたころ、この子は小学生だったんですよね、実は普通小に通ってたんです。普通学級に通わせてもらってた。母の介護で大変だったので、一時、保育所に預けてたんです。その時に普通の子たちと混じってるこの子が、すごく表情が豊かになったり、友達と遊べるようになったりするのを見て。あっ、これは、ここで生きていく方がこの子成長するって思って。で、教育委員会と、いろいろ、相当揉めつつ話し合い、親が全責任を取っていくんで、何も言わないでくださいっていう話で、普通小に入れてもらいました。それからこの子が友達と遊べるようになって、友達が来てくれるようになって、段々私も気持ちが呑気に。出会った先生がものすごく良かったんです。担任になってくれた先生が、とにかくこの子をクラスの中に馴染めるように、6年間無事に過ごせるように、1年が大事だからっていって。すごく、良くしていただいて。そのお陰で、6年間何事もなく、穏やかに過ごさせていただいて。
周りにいた子供たちの保護者の方々も、良い方ばかりに恵まれたので、もう運がいいとしか言いようがない。そうなんです。中にはやっぱり、いじめられちゃったりとかね。あと、お母さんがやっぱりつらくなって、家をでていっちゃうとか、結構いらっしゃるので。うちは本当に運がよかったなあって。

小学校がおおきなターニングポイントです。そこで一気にぐっと変わって。そこで一緒に育ってきた仲間は、今でも遊びに来たり。lineで連絡取り合って。あと、成人式なんかも、養護学校で成人式はやってくれたんですけど。普通の成人式もおいでよって、みんなに言われて。で行って、みんなに囲まれて、楽しく過ごしてるので。
まあ、ともすれば、ちょっと寝ないことが続く日もまだあって、そういう時はちょっと辛くなりますけど。そうなんですよ。やっぱ、一人で起きてると危ないんで。この子、スイッチはいっちゃうと、どこ行っちゃうかわからないし、何するかわからないんで、なるべく起きて、一緒にいる。それで、私の睡眠時間が削られ、それが結構つらくなる時はあります。でも一番つらかったこの頃に比べたら、全然そんなの、屁でもないので、まあまあ良いか、みたいな感じ

次男の誕生、母親の死

母の介護も、この子の世話と並行して16年くらい続いたんですけど、次男が生まれて、その育児も加わって、うわあー、どうしようこの先って思ったところで、母が亡くなったんです。母なりに、もしかしたら、なんか、あたしのことを、気遣ってくれたのかなあ、まあそう思いたいっていうか。

そうですね、楽になったのはその辺りだと思います。まあ、この子も順調に育つのが分かって。ああ、良かったってなって。まあ、とりあえず、そこからは、もう、悩まなくていいかって、何となくこう、手放したっていうか。この子はこの子で生きていけばいいんだって、これ以上何もやらなくても、もうこのままで皆に、みんなと一緒に生きていけばいいやって思えました。
今、心にひっかかるのは長女のこと

娘の方が神経質かな。傷つきやすいというか。やっぱり初めての子だったんで、私もまだ若かったし、よくわかんなかったんで、一人でやっちゃったし。娘については、そこがまだひっかかるんです。この子よりもよっぽど彼女の方が私の心に、いつもひっかかってます。やっぱ、小さい時に寂しい思いをさせちゃったっていう思いがあるんで。それがかなり、私の中に、引っかかっていて。

彼女が、思春期に相当荒れたんですね。思春期に荒れてくれて良かったなと、実は思っているんです。内に抑え込んでいたものを出してくれて。ただ、その時に言われたのが、「寂しかった」って、「ずーっと寂しかったのに、何も言えなかった。お母さんが大変だったから、言っちゃいけないって、思ってた」って。

そう。子供って、親が思う以上に思ってるんだなあって、その時気づいて、謝ったんです。ごめんねって。でもまだその思いが、ちょっと引っかかってるんですよ。なんか、取り戻せるなら、あの時間もう一度取り戻したいって。そしたら、もっと抱きしめてあげるのに。そう思うと凄く切なくなってきちゃって。今はもう、抱きしめるって言っても、ふざけんなって言われるし。今、取り戻そうよって言うと、うっざ!って言われるし。私の心に、いつも引っかかってるんですよね。娘ももう25にもなるのだからと思える自分もいるけど、いやでも、あの時は相当寂しい思いをさせたって思っちゃう自分もいて、今一つ手放せないっていう感じで。

うん、誰か素敵な人と出会って、幸せになってくれるといいかなって、そしたらバトン渡せるからっていう気がしてるんですけど。もういいのかしら。
なんか、娘によく言うのは、親なんてね、親ばかっていう言葉がある通り、どうせバカなんだから、お母さんありがとうっていう言葉を一言言ったら、心の中で、くそばばあ死ねって思ってても、お母さんありがとうって言ったら、バカだから、乗せられて、何でもやっちゃうんだよ、って。それがあなたには足りないねっていうんですけど。娘は素直になれないって時々いうんです。分かってるんだけど、そこを超えられないみたいなんですよね。それが苦しいんじゃないかなあって思うと、それさえも気になっちゃうっていうか。もっとこう、自分の思ってることを素直に周りに言ったら、あなた、もっと楽に生きられるのにって、思ちゃうんですけど。でも、まあそれもね、一方的な私の思いなので、彼女が乗り越えていくしかないんですけど。軽く、気軽に…軽々と行けばいいんですよね。一人だと、つい、必死になっちゃうんですよ。この子のことを悩んでるんじゃないかっていわれますけど、とんでもない、この子はもう、全然。自分の意志で「こっちだから」とかいいだす子だから。

後編へ続く

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