上がったり下がったりの人生曲線(後編)

今回は企業の障害者雇用の部門で働いておられる女性の方に伺いました。

昔の記憶から

私の中でも一番古い記憶は、2歳半ぐらいの時に弟が生まれて、祖父母に手を引かれて、母が入院している病院に一緒に行ったんですけど。それをすごく鮮明に覚えていて。
母もなんかその光景をすごい覚えてる、ってこないだ言ってて。私がその、祖父母に手ひかれて病院に来た時の洋服まで覚えているという話もしてたんで。やっぱなんかそこが人生の始まりのターニングポイントだったのかなー、って勝手に思ってて。昨日のこととか、ろくに覚えてないのに、そこはすごくよく覚えていて。
なんか匂いとか、消毒液のにおいとか、エレベーターの感じとか、祖母の手の感触とか、すごい鮮明に覚えてます。もう祖母は他界してるんですけども。
で、なんか兄弟ができて。その時はまだ弟に会わせてもらえなくて、母としか会えなかったんですけれど。なんかその時に私しっかりしなきゃ、っていうのをすごく思った記憶があって。
弟の方がずっと小さい頃引っ込み思案で、いつも私の後ろに隠れているタイプだったんです。常にお姉ちゃんなんだから、とにかくしっかりやらないと、と肩肘を張って強がっていた子ども時代だったんで、割と負けず嫌いで、勉強もしてましたし、学校でも活発な方だった。あんまり挫折とかなくて。なんで割と無難に上がって、で、高校も自分で行きたいと思った所に行ったんですけど、なんかちょっと校風が合わなくて。それが、第一の挫折で。
そのうち弟の方が勉強がすごいできるようになったので、そこでもうお姉ちゃんとして頑張るのやめた、みたいな。ずっと続いていた糸がいい意味で切れた時期でもありましたね、高校時代。
そっから割とラフに行ったのかなー、って。でも両親が、私はすごく頑固で一度決めたらもう手つけられないから基本的には放置してた、っていう話をよくするんで。何を決めるにも父と母は意見を言うけれども最終的にジャッジをするのは私自身で、私が一旦決めたらもうてこでも動かない、って言われて。それは今でも変わらないです。離婚を決めたのも結婚を決めたのも全部自分。事後報告でそういうことにしたから、って。で、今実家にお世話になっているんですけども、すいませんお世話になります、みたいな。
そんな子ども時代でしたね。なんで、大人になってその学生時代の、特に中学とかの友達に会うと、丸くなったねって、今こんなんでも言われますね。相当尖ってたんだろうなあ、って。とにかくしっかりしよう、しっかりしよう、って。
(今の弟との関係を聞かれて)
弟めちゃくちゃドライな子なんですけど最近は立場逆転してて。何やってんの?みたいに言われる。近くに住んでるんで。もう今は家族がいて逆に頼れる存在なんで。うちの息子がすごく懐いていて、父親がいないぶん、おじちゃん、おじちゃん、って。そのぶんすごく助かってますし。弟の奥さんとも仲がよくて、年上なのでお姉ちゃんみたいに接してくれて。子どもも歳が近いのでそこはすごく影響を受けて、それで人生上向きになった。

メンタルが壊れた時期

ちょっと2年前にメンタルをやられて、半月休職して。産業医には1ヶ月休めって言われたんですけど、まあ生活もかかってるので、大黒柱なので、ちょっと半月休みでやってみます、みたいな感じで。その期間は、家が凄いとっちらかってたので、ちょっと断捨離をしたりとか、料理したりとか、普段あんまりしないことをしていました。あとは追い詰めましたね、自分を。生活どうすんの、って。もう有給ない、みたいな。カウンセラーとかにも全然行かなくって、とりあえず半月会社には行きませんって言って。実は今、そんなのも心の中にあって…
なんか、やっぱり病んでる人が周りに結構いて。なんかそういう人に、話聞くということがなんとなくできても、実際何もしてあげられない、というか。まあ、自分もこんな状態なので、してあげるということ自体がおこがましいんですけれど。なんか、こう、どうにか良い方向に持っていけないかなー、って、自分を含めて。なんかそういう風に思って。で、カウンセラーの仕事とかすごく素敵だなー、っていうのがあって。
病んでいる人多いと思いますよね。休んでる方も結構いらっしゃいますし、私が友達でももうぎりぎりの子とか結構いるので。で、自分もそこまで行って。やっぱり、病んでない人はそんなんで病むなんて、って平気で言うんですよ、そういう人に。まあ、言われても仕方がないんですけど。でも、そういうことを言う人は、その立場に立ってないからやっぱりわからないので、そこを責める気は全然なくて。病んでる人がどうにか 這い上がっていけるようなとっかかりはないかなー、って漠然と思ってます。まだ何も行動に移せてないんですけど。勉強も全然してないですし。もう日々の生活でいっぱいいっぱいで。
しんどい時のいろんな情景がわかったっていうか、まそれは私のケースだけですけれど。そこが分かっただけでも、一個収穫だなー、って思っていて。ウチの会社に割と重たい自閉の子がいるんですけど、やっぱりいろんな音を拾っちゃうんだと思うんですね。本人には言えないんですけれど。で、なんかちょっと「うっ」てなることがあって。全く同じ事が自分にも起きて。何か色んな喧騒がこう、取捨選択できなくなってきて頭の中に入ってくる。例えるとスポンジがあって、そのスポンジを水を含ませて、ぎゅー、ってこう絞られているような感覚で。その搾られたスポンジをまた頭に、頭の中に詰められるような感覚になったことがあって。で、しんどくて、電車に乗るのがきつくて、いろんな音、会話とかで、もうヘッドフォンしないと電車に乗れない時期があって。自閉症の彼は毎日そういう感じなのかなー、って。で、独り言が激しくて、つい意味不明な言葉を言ってしまう。その自分の声で周りの音をたぶんシャットアウトしているんだろうな、って。もう勝手にですけど想像ができたり、とか。なんかきっとそうなんだろうな、って思えるのは、自分が病んでわかり得たこと。でも、わかんないです、彼に聞けばそんなの違うよ、とか言うかもしれないですけど。なんかそんなのが想像できるようになったので、今度はそういった人に、うんそうだよね、そうだよね、みたいな立場になりたいな。
そうはいっても、元来やっぱり頑固できついので、性格が。やっぱり、はっ?、って言っちゃうことがあって、それをどう抑えたらいいのかだろう、みたいなところがありますし、まだまだ自分自身も落ちるので、人のことをかまってる余裕もない時があるので。
多分まだ上がりきってないんだと思います。なんで、まだ時々、あ、やばい、っていう時が来るので。そういう時はちょっとローギアにしたいんですけど、目の前に7人がウチにいるので、あんまりローギアにもできずにいて。だからまだ完全には戻りきれてないとは思うんですね。
あ、今日だめだ、みたいな。でも、とりあえず会社行って。で、彼らが 結構楽しい子なんで。腹が立ちますけど。すごいこと言ってくるんです。○○さん白髪ありますよー、とかって。そういうことを言ってくるんですけど。なんか笑に変換して。
ローギアだから彼らに混ざれる、みたいな感じで。あなたたちだっていつか生えてくるんだからね、今見ときなさい、みたいな。一緒になれて、わいわいやらせてもらっていつつ、やっぱりどっかでまあ、彼らにこういう接し方でいいのかなー、って。福祉のプロが見たらぶっ飛ばされるんだろうな。きっと私の接し方が雑だ、とか言われて。彼らはもしかしたら、プロの方が接した方が幸せなのかなー、とか。なんか自信がないので、すごく思っています

今のユメ

私のユメなんて全然ないですね。全然どうしていいか。自分の老後どうしよう、ぐらいしか思ってない。このまま行ったら私、老後お金なくて死ぬわ、みたいな。まずはその子どもを育て上げるっていうので精一杯なんで。
もう自分でどうしていいか分からなくて。まとまらなくて、全然先が見えなくて。もう会社も辞めたいし。
仕事の内容はすごくいいんですけれど。この4月から時短勤務が取れてフル勤務に戻ったんですけど、子どもといる時間が全然なくなってしまったり、とか。ちょっとそういうのがあって。でもなんかスキルも何もないから転職もうまくいかないだろうし。動いてないんですけど、今。年齢も年齢だし。しんどいなー、って。多分もう少ししたら家で両親の介護も始まるなー、って思ったりとか。ゆくゆくは始まっていくんだろうなー、って思ってはいるんで。
(何かやりたいことはあるかと聞かれて)
お話をさせて頂いてて、今まで全然ざっくりしかなかったんですけど、一つは今のその障害者雇用続けていく。もう一つは、やっぱり息子のこと言えなくて、私もやっぱり教員にまあ引っかかってるかなー、っていうのがありますね。保護者会とかで学校に行くと楽しいんですよね。でも、教員っていう道は多分もう厳しいと思うんですよね。私が持っている免許じゃ、多分、今中学の教員になれないらしいんですよ。私が取った時は中学だけでよかったのだけど、今は高校の課程も取らないと採用試験受験資格がないらしくて。私高校持ってないので、そこを取り直すっていう労力、通信日程とかその体力が。経済的にも。そうなると公立の中学校っていうところは絶たれてしまうし。ま、見ていて自分に務まるとも思わないので。本当に激務なので。それこそ子どもほったらかしになるんだろうな、って。そこはちょっと、まあ、叶わぬ夢としてとっておきながら生きていくかな、って。
(公立以外の教員もあるといわれて)
そうですよね。なんか今やっぱり、フリースクールとか、そういうところとかにも私はすごく興味があって。うちの子も多分そこの瀬戸際にいるんで。いつそっちに行ってもおかしくないんで。なんかそういった時にきちんと受け入れてあげられるような態勢ではいたいなと思っていますし、まあそういったところの職員とかっていうのもすごく興味があるんですけど。
そうなんで、障害者雇用と教員との融合じゃないですけど障害を持っている、持っていないに関わらず、なんかちょっと生きにくさを感じてる子どもたちになんかこう、フォローができたらなー、っていうの、やっぱりどこかにありますね。目の前に一緒に働いている子たちに。ま、本人たちが生きにくいって感じているか、っていうと、そうでもなさそうなんですけど。自由に生きてるんで。でも、やっぱり社会的に見たら生きにくいんで。そういう子たちにそっとフォロー、と言ったらおこがましいんですけど、支えてあげられたらなって思っています。
これは、もう日々の目標です。毎日朝行って、さあこの子たちに今日は何をやって達成考えてもらおうかな、って。たぶん本人たちは何も考えてないと思いますけど
(さらに何か夢はないかと言われて)
息子が今、お父さんが欲しい、そして妹が欲しい、って言うんですよ。無理だよ、みたいに言ってるんですけど。そこをちょっとどうにか。父親、までは行かなくても、息子にとって私以外に頼れる人が、今じいちゃん、ばあちゃんが一緒にはいて、おじ、おばが近くにいるんですけど、もうちょっとなんか違った、近くにいる大人がいてくれれば、っていうか、私的にも安心できるような方がいたらいいな、って漠然と思ってるんですけど。
でも、全然その余裕はなくて。出会いもないし。大体、あの、40歳近くで子どもがいて、ってなったら、みんな、なんかその、あ、ってなると思うんで。でも、もし将来そういう方と巡り会えたら私にとって、また息子にとっても、なんかいいなぁって漠然と思っていますね。
このままだと、息子が巣立っていくときに、あー、一人か、って。
全然気楽でいいんですけど。ご飯の支度が面倒くさいとか、そういう愚痴を同級生とかから聞いてると、一人って気楽でいいなぁ、とか思っちゃうんですけど。「いいよね、旦那にお伺い立てなくていいからさー」とかすごい言われるんですけど。それはそうだなあ、みたいな。でも、なんか、ふと、こう、ちょっと、なんか頼れるというか、愚痴を聞いてもらえるとか、相談できるような人をもっと増やしたいですね。別に、その、旦那さんとかじゃなくても。なんか、こう、同志じゃないですけれど、そういう人と巡り会いたいなあ、というのは、個人的な夢としてあるかな。
(趣味で出会いがあるかも、と言われて)
なんか趣味をやる、とかって時間はもう全然ない。時間は多分作ればあるんだと思うんですけど、なんかもう気力がないというか、ぼーっとしてる時間が長くて、気がついたらもう薬飲んで寝てる、みたいな
(勉強は、と聞かれて)
勉強はしたいんです。本を開くんですけど、全然頭に入って来なくて、困っています
どっかで勉強するとかってなると、同じものを目指す人と会う機会もあるし、とかって思ってるんですけど。会社でもなく同級生でもなく。一歩踏み出せたらいいなと思っています。

感想

いや、すごい話したな、私、今日。あんまり、こんなに人に話すなんてない。結構ネタとして、私バツイチだから、みたいな感じでしか話さないので。もう完全なるネタです。こんな深く掘り下げて、他の方に話す、ってなかったですね。すごい、なんか新鮮です。はい。ありがとうございました。
(新しいことが見えたかと問われて)
はい、何か見えました。見えましたと言うか、転職するにもやっぱり同業種でちょっと探します。

後記:なんといってもまだまだお若いですし、人の話を聞いたり、人の立場に立つことができるわけですし、なにより人を育むことをなさっていかれるのですから、ご本人の周りにも様々な人間関係が育まれていくことでしょう。話しているうちに自分の目指している方向性がクリアーに意識されるようになっていくというのは傾聴の目指すところでもあります。たくさん話していただきありがとうございました。

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