傾聴記録2:私のユメは自分の周りを愛と笑顔で満たすこと

小林千恵さん(36歳、文京区在住)の傾聴抜粋。

楽しかった幼稚園・小学校低学年時代

幼稚園の時から文京区なんですよ。電車で通園したのがきっかけで電車が好きになりました。幼稚園の子どものときなりたかったユメが、女性車掌だったんですね。今は(そのユメは)なくなってしまったんですけど、第二幼稚園というところに行ってました。区内の友達が一杯いたから、仲良しだったから、(とても楽しかった)。私の人生、アップダウンが激しかったんですよ。

いじめを受けた7年間

小学校3年の頃から、いじめで下がり気味で、中学校3年のころまで、いじめられてました。普通の中学校だったんですよ。でも虐待がありまして、すごいこわがりで。学校でもいじめられてたんですよ、平気で。相当、嫌でしたね。本当、嫌なんですよ。すごい嫌なんですよ。なかなか言いにくいことが一杯あったんで。あの、私自身が弱かったのか、どんどん、すごい、ひどいことされたりして。友達に除け者にされたりして、すごい寂しい思いをして。でも先生方が色々助けてくれたんで、過ごすことができました。この話しをすると悲しくなっちゃうんで、ここではこれ以上触れません。

楽しかった青鳥特別支援学校時代

青鳥特別支援学校だったんです。池尻の方の。都市園芸科といいまして、職業学科の最初の卒業生だったんですね。中学校を卒業するときに職業学科のお話をいただきまして、就職が早いかと思って。農場っていうのがありまして、大井町線の等々力まで通っておりました。昔の園芸高校があったところに農場があったのです。今はなくなっていると思います。都市園芸科の全員が農場を経験させて頂いていました。

青鳥では本校で、数学とか国語とか、小学生レベルから中学生レベルの勉強をしていました。この頃から頑張りだして、学級委員とか役員の仕事をやらせてもらったんで、3年生の卒業の時も、(卒業式のことで)皆と相談するのも、お手伝いさせて頂いたりとかして、いろいろと頑張らせて頂きました。2クラスでした。8人、8人で、3人女子。女子はいつも一緒で、3年間ずっと仲良しで、とっても嬉しかったですね。担任も変わらずで、一番楽しかったですね。

青鳥祭というのが毎年開催されてまして、農場で取れたものを使って、うどん屋さんをやったんですよ。野菜を栽培して、うどんを実際に作ってみて、味見したりとかかして、農業の先生、プロデュースして、で、その時私は会計だったんで、お返し(つり)を出したりして、重要な役割をさせてもらったんです。外だったんで、凄い寒いのを覚えてます。1月です。制服で、コート着て、ジャンパー着てやってたので。お昼時になると、皆さん、駆け寄ってきて、うどん下さーいって、で、はーいって。忙しい時は、ホントーッに会計するのが大変でした。いまでもそれは忘れられません。都市園芸科の卒業生の都園会が年一回あるんで、その役員をやってます。青鳥支援学校は皆様に愛される学校なので、私も卒業生ですけれども、先生に一杯愛を頂きました。

さみしかった通勤寮時代

前に豊島の知的障がい者の通勤寮だったんですよ、西巣鴨の。20才から、23くらいまでですかね。20くらいまでは両親と一緒におり、学校もそこから通ってまして。(一人で暮らしたいという気持ちは)若干ありましたが、凄い寂しくて、泣いちゃって。通勤寮のとき、辛い時もありましたから。その寂しいのは、触れると、私の方が涙になっちゃうので、涙もろいので、自分は。

グループホームでのダウンアップ

グループホームでも若干いじめられた時があったんで。あの、ちょっと、除け者にされたりとかして。9年間辛かった時があったんで。お金自由に使わせてくれないし、行事系に出させてもらえないという。自由に使いたいじゃないですか、行きたいところに行きたいじゃないですか、TVとかもちゃんと録画したいじゃないですか。それをやらして貰えなかったんで、全て。相当つらかったですね。9年間が。

で、その辛さを相談したら、「それはひどいね」って言ってくれて、はい。本当、いろいろ先生に相談したいこと、我慢してたんですよ。

それで、いろいろと自由になりました。今になって、思いっきり色々なことが言えるんで。理事長と話せるようになったのが、きっかけですね。

今で丁度2年くらい。そうですね、明るくて笑顔あふれるのが自分なんで。それが一番の取り得なんで、自分は。

はい。世話人や吉田先生はもちろんのこと、両親も相談とか乗ってくれたりとか、あと、仕事、職場の段階では、文京区の就労支援センターの職員がついてるので、でグループホームの生活面に関しては、支援員がいるので。相談できる人は一杯いますね。

兄と弟がいて、二人とも就職してます。兄は両親と一緒にいます。弟は結婚しました。土曜日は帰りますし。最近帰れるようになったので良かったんですけど、帰れないときは寮に泊まっています。寮で自分でとったビデオを見るのも楽しみなので。

レストランでの仕事について

私は、卒業研究で、陶芸とかの作業をしてたので、それで卒業という形になったんです。私はいま、イタリアンレストランに一般就労していまして、夏休み中に一回現場実習をさせて頂いて、それで決まりました。最初、ちょっとこわかったんですけれども、先生や皆さんがいてくれたお陰で、あの、就職できて、今に至ってます。18歳から始まって、いま現在36歳なので、それで換算していただければ、19年くらい、こちらの方で働かせていただいてます。仕込みの調理補助みたいなことで障がい者雇用されて。仕事開始が9時~5時までなんですけれども。特に丸の内線なんで大変です。

一年後には、ピザを。まだ上手くできないんですけど、最近ちょっと失敗しちゃったんですけど、ピザづくりを。そう、生地から伸ばすのがちょっと、まだまだ苦手でして、まだやれない状況なので、そこらへんは、やりたいなって思ってます。ピザをやれるようになっていたいです。そこから先は、まだまだ考えてないと思います。はい。お客様に、沢山の方に是非来ていただきたいなと思ってます。是非是非皆さんに来ていただきたいです。

ノー調理師免許なんで。サラダだけはもうできるので、この間ももう、分からない後輩に教えてやりました。結構最近後輩とかにも教えているので、そういう後輩達も、伸ばしてもらいたいなと思っています。

週5日7時間くらい働いていて、12~3万前後ですか、時給が千円なもので。障がい者年金も頂いてますし、文京区の補助金も出てます。そうですね。色々と出費が多くて。

(正社員になる見込みは?)うーーん、いまはないですね。パートタイマーで。多分、永遠に悩みの種です。社員じゃないと、表彰も受けられないし。でも、長いことがんばってるから。

(長く勤める秘訣は)やっぱり、根性と皆さんの応援ですね。で、来てくれるお客さんの笑顔、もう、それなんですけれども。これも、笑顔になれる。皆さんの笑顔、お客さんが来てくれるのが嬉しいので、ご馳走様って言ってくださるお客様が笑顔になるので。

(嫌だってなることはなかったか?との質問に)一回はありましたね。先輩に怒られたときがとても辛かったときですね。作業が遅いとか、その他もろもろです。あたし、感情しちゃうんで、感情になっちゃうんで、余り言えませんが。今は先輩なんですけど、逆に支えられてるっていう状況なんで。

あかねの会スピーチクラブと趣味

あかねではじめて吉田先生とお会いして、厳しいことも、優しいこともお伺いしましたので。ときおり、他の人のトラブルがあった時に、怒っていただいたりとか、私にもアドバイスを頂いているので。

かっちりした文章で話さないと、相手に伝わらなくて困るので、気をつけています。それもスピーチクラブでお勉強させてもらえるので、助かってます。吉田先生がいるから、私ムードメーカーなんで、いろいろなところで、そういう風に言ってくれる人沢山いるので、もっともっともっと(周りを)笑顔にしたいです。

もちろんあかねでも、スピーチクラブの自分の文章を作って先生に一杯みてもらいたいし、グループホームの方でも、お世話になっている先生にしっかり指導してもらえるような感じにもなってきたし、しっかりしていきたいなとも思います。年々楽しくなってますね。

こちらの文集には私のは少なくなっちゃったんですけど、4~5編くらいしか載ってないんですよ。この中で、私自身、書いててよかったなーと思ったのが、自分(の名前について書いた文章)、名前も気に入っているので。あと、ここの文京区のことを中心に書かせていただいたこと、自分なりに調べて書いたんですけどね、こちらの文章なんですけれども。私だけでなく、あかねでやっている人たちにも、ちょっと、会いに行って欲しいなって。他の障がい者のみんなの意見もね。

10キロマラソンの方にも挑戦していて、ただ、記録が伸び悩んでいまして、ただいま、それがちょっと苦痛なんですよね。そう先生に記録を見せて、先生高齢なので、元気を出して生きてっていう意味で、いつも先生に記録をお渡ししています。

夏休みの旅行で岩手に行ってたんですよ。震災がひどかったところに、2泊3日の旅行に出かけてまして。陸前高田も行きましたし、リアス線は両方行きました。クラブツーリズムっていうので、毎年家族旅行で行ってるんですね。ビルのところとかみたら、すごいひどかったんで、まだまだ復興は続くばかりです。今回、岩手のことも、そういう震災に関しても勉強したいな。それにリアス線両方乗れるなっていうのがあって、自分、電車好きで、東日本大震災の実態、ちょっと見てみたいなというのがあって。で、今度、スピーチのやつで書こうかなって自分で密かに計画してます。実際にみた感想を、資料を参考に、ちょっと文を書いてみて、先生にチェック入れてもらって、そして今度のやつにも載せようかなと思います。震災のことは自分としても勉強になりますし、今回、ガイドの実際の体験も聞いたりとかして、で、震災があんなにひどかったんだ、津波があんなにひどかったんだことを勉強させられましたね、今回は、しっかり。やはり不安が残りますね、自分も。

原宿かなんかで、(甘いものを)楽しもうかなって。和菓子も洋菓子も大好きですね。原宿にはたまにいきます。アクセサリー、例えばイヤリングなど、女の子のファッション大好き。自分が女子だから、やっぱそういうイアリングとか見ると思わず買いたくなっちゃうんで。特にイヤリングの福袋があったら速攻買っちゃいます。5個ぐらい。パッチン系がメインですけど、止める系も結構好きです。今日もいま、パチンととめてるんですけど。

笑顔、愛、ユメ

愛を貰うことで私も笑顔になれます。笑顔と愛ということばは私の好きな言葉の一つなんです。一杯書いてあります。将来のユメは、もっと笑顔と愛にあふれた生活がしたい。そうですね。それが一番です。皆さんも笑顔が一番似合うよって言ってくれるので。

いろんなことを、マラソンやってらっしゃる方がいたら、マラソンのアドバイスとか、いろんなことで、細かいアドバイスとかあったら、声かけていただけたらなあと思ってます。

今やっていることを一生懸命やるだけです、私。

青鳥に入れば、将来、学校から、就職して、作業所だったり、そういうところに行ったりとかして、就職されている方もいますし、ちょっと最初の就職先がだめで転職している同じ卒業生もいるので、それもちょっと、一緒に応援してあげたいなと思ってます。で、他のお店で働いている障害者の人がいたら、売上に貢献してあげたいという思いかなあ。

いまが幸せです、とても。辛いことがあっても、皆さんが色々と声をかけて頂いて、私は、今の自分がいるので、大きく育てられたかなって言う気持ちがします。青鳥にいって、特に職業学科に行けてよかったなあと思いました。小学校でも中学校でも声をかけてくれる優しい先生とかもいて、凄い嬉しかった。職業学科というところに行けて、自分自身自信がついたとうのが現状ですね。愛とか笑顔とかが自分の生きがいになるので、それを中心にこれからも頑張っていきたいなって思ってます。

私は今、ユメって言っちゃうとユメでもないんですけど、私自身、やはりあの、私自身がまだまだ成長していかなくちゃならないところが一杯あるので、そこを中心に、やっぱり色々な人に支えて頂きながら、やっていきたいなとは思ってます。

周りの人たちを、いろんなところで、裏方として、そういう思いを伝えて、自分の気持ちを前面に出して、で、こんな風に思いを伝えれば、何だってできるって思いますね。みんながみんな、仲間ですから、私にとっては。誰一人として怒りで欠けたりさせませんから。怒らせたりしませんから、絶対に。

私のユメは自分の周りを愛と笑顔で満たすことです。そういう思いでやらせていただけたらありがたいです。頑張っていきたいです。

(経済的には自分で全部やれてますか?との質問に対し)はい、お金は、預けたりとかしてやってます。世話人さんに。出してくださいといえば、ちゃんと世話人さんが出してくれるので。あのちゃんと封筒を預けて。欲しい時言って、っていって出してくれるので。(少なくなってきたら)もうこれだけって言われるので、それで自分なりに管理はしようと思ってます。結構、そういう風にやることが幸せですね。自分の大きな。

(親しい友達は?との質問に)寮生?一緒のグループホームの寮生。都園会の人たちとかが友達です。

(私が笑顔になったのは)皆さんのお陰ですね。人生、楽あれば苦もある(笑)。

(どんな人と出会いたいか?との質問に)自分の気持ちを一杯分かってくれる人がいいですね。

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