人生曲線上がったり下がったり

今回は上がったり下がったりの人生曲線を経つつ、うつ状態から回復してユメに向かって歩き始めている男性の話を傾聴しました。

(人生曲線を書きながら)
現在がここで。えーとねー、うーん、最初わかんないからゼロだよね。ちょっと低め、ずっと低めで、で、上がって、ビーっと上がって、上がった後にちょっと下がり始めて、こうなって、こんな風になっていって、今上がっているという感じかな

田舎から就職で上京して落ち込んだ時期

まあ裕福ではなかったですけど、普通の家庭に育ったんで。まあそれなりに、あのー、まあ幸せだったのかなあと。今ではそう思いますね。特に不自由もなく、ただ家にはお金がないなっていうのはわかってたんで、早く就職しなきゃいけないなっていうのはありましたね。だから学校は高校までしか行かないつもりで、進学しないつもりでいましたね。就職するために、高校は工業高校に入って。で、もう、すぐ就職っていう形をとりましたね。
その時に上京してですね。やっぱりちょっと、あれ、世間とは違うのかな、っていう部分が多少あったのはありますね。知らないことが多かったんです。やはり田舎にいたんで、田舎って言っても九州の方にいたんですけど。会社に入って友達もそんなに多くなかったんですよ。そういうせいもあって、やっぱり自分の知らないことがやたらと多かったんですよね。

田舎から出てきたんで環境も違う。周りの人達は全然違うっていう感じだったんで。あれ、なんか、なんか違うぞ、自分は、って、いうのがあったんですね。そこで、あれ、おかしいな、っていうのがありましたね。おかしいっていうのは、あの、自分が思ってたのと世間が違うなと。

やっぱりいろんな人が集まってきてますから、仕事しているうちに、当たり前だと思って向こうが話してる言葉が通じなかったりするんですね。あー、あなたは電気科やって来たんでしょ、なのに知らないの、っていう感じで言われる時もあったりして。
あれ?自分はできない子なのかな?っていう感じで。人としてどうなのかな、っていうところまで思っていた部分があったんで、多少落ち込んでしまっていますね。人生曲線さがっているところです。

あんまり詳しくは覚えてないんですけど、このままだとダメだなっていうのはなんとなく思ってましたね。なので、もういいや、と諦めちゃうかなーっていうのはありましたね。まあ出世するつもりはなかった部分があったんで、ただ技術者として生きていければいいかなと。手に職を持っていれば食いっぱぐれもなくていけるかなって思ってたのが、なんか違うぞ、そういう感じではないぞ、っていうのがあったんで。

人生20年でいいと思っていた

いやもう10代の頃から、と言うか、多分もっと昔からなんですけど。あんまり自分が全てと思ってなかったんで。あのー、そうですね。まず一段階目で、二十歳で死んじゃおうかなって思ったんです。人生20歳でいいかなって思ったんです。で二十歳で区切り付けようかなって思ってね。本当にあの、軽い気持ちで。ま、死んでもいいやって思って生きていたっていう部分もありますね。

辛いっていう気持ちもなかったですね。もういいや二十歳で、って思って、諦めのいい部分がありましたし。将来像はその時描いてたんですけど、今は振り返るとその時の人生観って言うか、あの、まぁ設計図みたいなものがうっすらとあって、それをなんとなくなぞってる感じがするんですね。あの、二十歳でもういいやって思ってた部分があって、二十歳で死のうかなって思ってた。でも死ななかったっていうのがあったんですけど。一つは親友が二十歳前後で死んでるんですよね。で、そこでちょっと、自分の代わりに死んだのかなっていう部分もあって。なんか寂しいっていう部分と、辛いっていう部分と。やはり複雑な気分が混じり合って、どうしたらいいんだろうなっていうのがありましたね。
その時に思ったのは、しょうがないからその人の分までは生きようかなって。だから、二十歳過ぎてからの人生は彼の分の人生だという風に思ってますね。

これ不思議な体験なんですけど。実は彼が死んだ日には連絡こなかったんですけど。その日と思われる日の夜に、寝る前にその人のことを思ってたんですよ。彼がもし死んだら、じゃあ俺も死のうかなっていうことを思ってたんですね。なぜか知らないけど、そういうことを思いながら眠りに着いたんですね。で、その2日後に連絡をもらって、彼が死んだという話を聞いた時に、あー、なんか、うん、あの、すごく不思議な感じでしたね。
今は、自分は生かされてるかな、っていうふうに思いますね。そういう経験がなかったら、なんとなく生きてたかな、っていう部分もあるんですけど。

子供の頃から、人は死ぬもんだ、という風には思ってたんで。だからあの、たまに自分が死ぬっていうことを考えながら寝ることがあったんですね。死についてはよく考えるほうですね。子供時代から。今の自分がいなくなるってどんな感じなんだろうって。今考えている自分がいるのに、それがいなくなってしまう、なくなってしまうっていうのはどんな感じなんだろう、って言うことを考えたりして。生まれ変わるのかなと。いや、もうないだろうと。今の自分は今しかないんだから、生まれ変わるっていうのはないだろう。という感じで。

自分の死については真剣に考えてて。どうしたらいいんだろうな、っていう。要はどうやったら悲しませずに、周りを悲しませずに死ぬことができるんだろうかな、っていう。ずっと思ってたりとかしたんですね。残された人がどう思うだろうかとか。残った人が、悲しい思いを引きずらないようにしたいな、っていうふうには思ってたんです。

で、親が先に死ぬだろうなって思ってるんですけど、それよりも先に自分が死ぬことを考えちゃって。もう親も年齢的には、老後なんで。あと何年生きられるかな、っていうのは身近に感じてるんですけど。看取れるのかな、自分が、って。それよりも自分が先に死ぬかもしれないよな、って思いながら生きてる、っていうのが、正直なところですね。

今は思い残すことがないように、悔いがないように、って思ってるんです。だから1日1日で、明日死んでもいいやと。何か交通事故にあっても、何か事件に巻き込まれても、何でもいいですけど。死んだとしても後悔はしたくないなと。だからあの、もういつ死んでもいい、いつ死んでも同じだと思えるように生きて行こうかな、っていうふうに思っています。今の人生で、自分のやりたいことをやんなきゃいけないのかなと。逆にやりたくないことをやんないで行こうかな、っていうふうには思ってますね。

転職して上昇したが、下降してうつ状態に

えーと、転職してですね。外資系の方に転職したんですけど。最初はついていくのがやっとだったんですけど。まぁ、そこでもなんとなくうまくこなせて行けるようになってきて。まーあの、バブルもあったんで幸せな時期だったんですけど。好き勝手やって。でも、その時もずっと片側には自分が死ぬことを考えながらずっと生きていていましたね。
IT 関係の仕事だったんですけど。SEです。まあ大変だったんですけど、苦労はあったんですけど、周りの環境が良かったんで、凄くやりやすかったですね。会社も成長してたんで、業績もよくって。お陰様であの、収入も良かったんで、楽しく過ごせることができた。

でも、だんだん会社の業績が悪くなっていったんで。面白くなくなってきたなー、っていうのがありました。30代後半ぐらいですかね、うん。で、だんだん先が見えてきたかな、っていう感じで。やってることもまあ単調になってきたんで、だんだん面白くないなっていう。仕事に関して面白くないなっていうのと、あと、やりがいって言うか、自分の生きがいの部分についてもなんとなく感じて。で、だんだんとモチベーションが下がって。ずるずると落ち込んでいって。で、転職もして。それでもやっぱりちょっと落ち込んでいて。持ち直すかな、って思ったんですけど、職場で、あの、ちょっと問題が起きて。パワハラじゃないですけど、うつになってしまって。

うつになってガーンと落ち込んでいたんですけど。そこからさらに、急に落ち込んでしまって。病院行って薬もらったりとかしてるうちに、それなりには何となく、少しずつ回復したのかなー、っていう感じはあったんですけど。すぐには上がんなくて、過ごしていたんですね。で、急激に上がっていったのはやっぱり椎名さんに会った時かなあ。

鬱からの回復

うつになって病院には行ってたんですけども、カウンセリング受けてみないっていう話があったんですね。でも、無料ではなかったんですけど。まあカウンセリングっていうのがあるんだっていう風に思って。じゃあ、ちょっと受けてみようかなって思って、受けてみたんですね。いろんな話聞いてくれるし、真剣に聞いてくれるし、アドバイスは特になくて、聞いてくれるだけで、あー、なるほどね、っていうのがあって、すごく気持ちよかったんですね。で、その人から椎名さんの紹介を受けて、こんな会があるんだよ、週に一回集まって、鬱の人たちが、っていうか、そういう勉強してる人たちが集まってやる会みたいなものがありますよ、参加無料だから行ってみたら、って誘われたんですね。で、行ってみたら、すごく鬱になって本当につらかった人が元気になった、っていう話をするんですね。そういう話を何回も聞いているうちに、あー、自分の悩みはたいしたことないんだな、と。このぐらいじゃ大したことじゃないんだなー、って思ってきて。じゃあ、ちょっとそこらへんを勉強してみたいな、って思ったんです。

1回鬱を経験した自分が、ちょっと人と関わることによって逆の立場になれるんだな、って思って、椎名先生のところに話を持って行って講座を受けるようになったんですね。講座を受けているうちに、やっぱりいいなあと。で、傾聴をそこで習って。やっぱり人の言ってることを、そのまま真に受けるんじゃなくて、その人の言葉の中に何か訴えたいことがあるんだな、という部分をなるべき感じ取るようにして。これは仕事にも活かせています。

これからのユメはワイナリー造り

講座を受けて、いろんな話を聞いてるうちに、やっぱり夢を持つことは大事だな、っていう風に思って。人生設計をちょっとやり直そうかな、って。で、目標っていうか、何をしたいのかなっていうのがあったんですね。自分の好きなことが、お酒だったんです。ワインです。日本のワインをしばらくぶりに飲んでみたらおいしくなってたんです。あ、すごいなと。で、日本のワイン美味しくなってきたので、これをちょっと趣味にしようかなと思って。自分が生きてるうちにやることとして、何にしようかなって思った時にワイン関係の事をしたいな、って思って。で、自分の好きなワインを作ることっていうのをちょっと目標にしようかな、って思っていて、今は、そこに向けていろんなことをやっているっていう感じですね。ワイン好きの人をどんどん増やしていって。特に日本のワインに興味を持ってもらいたい、もらえたらいいな、っていうふうに。で、ある程度目処が付いたら、自分で畑を買って、ワイナリー作って、ワインを作ろうかな、って。

自分がちょっと憧れてるワインがあって。もう作られてないんですよ。そのワインを復活させたいな、っていうのがあるんですね。家に2本ストックがあるんですけど、それだけなんですね。多分世界にもないんですよ。

夢を持つ時に相談したら、やっぱり具体的なほうがいいな、って話があったんで。年代別に、具体的にもっと細かいプランがあったんですけど、今ちょっとそれには乗ってなくて。本当だったら今頃はぶどうの農家に弟子入りしてる時期なんですけど。でも、そこまで行ってないんですよね。お仕事は続けながら、ちょっとそこまでお金も回らなくて。生活するためには働かなきゃいけないなっていうのがあって。まず農家に弟子入りするにも、ちょっとお金が必要だから、そこまでまだ、たどり着いてない感じですね

今は、ワイン会を開いたりして、日本のワインを積極的にアピールしてます。日本のワインの美味しさを知ってもらおう、みたいな。まず市場作ろう、みたいな感じで。現地に行ってワインを勉強したりして。何十回も行くんで甲州にはもう顔なじみの人も多くて。行ったら、ああまた来た、っていう感じで。

上向きの人生曲線~後継者育成まで視野にいれて

日本のワインって、もう世界でも認められてきたんで、すごく嬉しいですね。ワイン作れるようになっても、自分の代で終わらせたらつまんないんで、なんとか引き継いでくれる人を探したいなって思っていて。そのためにもワイン会開いてるんですね。

人生曲線は、今は上向きになってますね。あと、どうやって実現していくかっていう部分だけなんで。少しずつ少しずつ歩んでいこう、っていう風に思ってますね。

(傾聴の感想を聞かれて)

普段話さないことを、今まで話したことがない部分も話せたんで、すっきりした感じがしますね。自分のこと話すっていうのはなかなかないんで。多くの人にとって、本当にそういう機会が増えるといいな、って思いますね。

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